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2018.04.27 (Fri)

ねむいけど睡魔がきてくれないのでブログに手をつけてみる

演奏告知や報告をHPやFacebookでするようになってからというもの、このブログの存在意義を問い直しています。
文章を残す用にでもしようかな。

そう、長年私を追いかけてくださってる方でしたらお気づきの通り、私はだらだら「好き」を言葉にするのが大好きです。

なんででしょう。
言い切らないからでしょうか。

どんな風に表現しても足りないから色々別の表現をしてみたりして近づけたりして、でもどんなに表現してもこの良さは聴いてもらうことでしかわからないジレンマがあって、そのどうも埋まらない溝の中で「ああん!もう!」って困っていたいのだと思います。

例えばこのツイートは三枝成彰先生編曲の「はないちもんめ」に夢中の時のもので、要はその箇所の音がたまらなく好きなんですね。そして、その時に感じたことを3通りの表現をしてみて、なんとなくその最大公約数を浮かび上がらせたい、みたいな欲求がある気がします。多分。

でもどんな風に表現したってそれは言葉でしかないのですよね。これは「チューリップ」という歌が存在していることを心から尊んでいる時のツイートなんですけど、いやほんと冷静に見て…っていうか普通に見てテンションおかしいですね。泣くなよ。
内なる自分の半分はこういう自分にかなり引いてるのですが、もう片方の自分は「わかるわ~~~~~」って前のめりでテンションあがってるので、私はそのうち分裂するのかもしれません。

いやそんな話がしたいんじゃないのだ。
この「想いは言葉になった時点で想いじゃなくなる」という感覚。
気持ちに名前がついたことで気持ちがハッキリすることもあれば、気持ちに名前がついたことでなんか言いたかったことの幅が狭くなっちゃうこともあると思うんですよね。そうなんだけどそうじゃない!みたいな。
少女漫画の読みすぎですか。でもそう思うんだもん。

この言葉では埋めたらない、届かない部分があって、だから私は歌いたいのだと思います。
(これを言っているときの私は奥ゆかしいドヤ顔をしてるとおもってください)
言葉にして、歌って、言葉にして、歌って、そのくりかえし。こんなに楽しいことはない。



ということで、実はわりと正統派の歌手を目指してきてたんですけど、初対面の方に「ていうか君めちゃくちゃ童謡マニアっていうかおたくだよね!」と見ぬかれ、中途半端にごまかしてきたけどこれはもう開き直るしかないんだなと痛感し、解放することにしました。その節はありがとうございました…!
このよくわからんエネルギーを有用に解放できる道を模索中です。有用に解放できそうなところがあったら教えてください。あとこの場合の「おたく感」とは知識量というより愛着の種類だと思ってください。過干渉にならないように気を付けていきたいなとは思っていますが難しそうだな。勉強してゆかねばなりません。


さて明日は念願のしぶやさんといっしょです。びっくりですよ。ちゃんとうたえるかな。はやく寝ないとです。
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2016.12.29 (Thu)

お歌の先生やっててつくづく童謡ってすごいなと思った、という話

幼児の生徒ちゃんのお歌の先生をやってて、童謡ってすごい…本当にすごいんだ…!と身をもって感じることが多かったので、それを書き留めておきたいと思います。

「ちょっと難しい歌でもこどもは吸収が早いからすぐ覚える」とかよく聞きますね。

でも歌のレッスンとしてやっていくに、現実問題、幼児さんは好きな歌さえも、難しいと覚えられない事は多いです。

‪「違う誰かがその歌唱の責任を負っている」状況でそこに乗っかって楽しむ、ということと
‪(違う誰か=CDなり生身の歌い手なり)‬

‪「自分が"歌い主"になってその歌を責任持って歌う」ということは

全くの別問題なんですよね。

‪幼児の音域、歌唱技術、記憶力と処理速度。
(あとここに歌詞についても加えたいけどひとまず省略します)

自分で選んだ好きな歌でさえ、覚えにくさ・カウントの取りにくさに、だんだんと…疲れた顔をしてきます…。

私の指導力の問題かもしれませんが、でも大人でもカウント出しにくい歌って結構あります…よね…?
(まぁこういう場合にはまた別の対応をするわけなんですが今は省略。)

子どもに寄りますが、あんまり私は「歌をきちんと歌うことはしんどいこと」というイメージをつけたくないので、なるべく実力と自信をつけてから難しい歌に手を伸ばしてほしい…と思っています。

‪と言うことで、語弊があったらすみませんが、
「この子が1人で"手に負える"歌はなんだろう?」と考えた時、私はいわゆるおかいつソングやアニメソングはいったん脇に寄せちゃいます。‬

‪「メロディが複雑でなく、‬
‪長すぎず、‬
‪音域も広すぎず、‬
‪しかし、きちんといい歌」‬
‪と考えたとき。‬

そう!!

‪童謡の出番なのです。‬

‪すごく思い出深いのが「チューリップ」。‬
さいた、さいた、チューリップの花が♪の歌です。

これは、高い音が少し苦手な(本人も消化不良な表情をする)年長の女の子に出しました。

‪チューリップってね、ド~ラの6つの音しか使われてないんです。‬

‪なのに「どの花見ても…」の部分の、あの、花壇を見渡して視界がチューリップでいっぱいになったような、あの壮大なメロディ…!!‬
歌い甲斐ありますよね…すごい。

‪つまり、「チューリップ」は‬
‪歌唱音域が狭くても、歌う達成感を味わえる歌。ということなんです!!

‪歌詞も単純で比較的想像がしやすい。
‪しかも休符のタイミングで次の歌詞のガイドも出せる!‬笑
‪幼児さんはまだ文字読みができないので、だいたいはガイド出しが必要です。‬‬

多少わからなくても構わず歌い続けられる子もいますが、歌詞をスムーズに追えられなければ現実問題脱落しやすい子が多いと感じます。‬

‪もちろん、団体で歌うという状況であれば、歌詞がわからなくてもなんとなくごまかしごまかし楽しく歌えますし、そういう楽しさも勿論!あります。

‪でもね!‬
‪それとは別に、
自分がその歌唱の責任を負って歌うのってね、
‪とっっってもたのしくて、充実したものなのです!!

‪この歌ならこの子に合うかな、と思い課題にしてみたら、その子はすごくすごく充実した歌唱をしてくれたんですね。
本人も前の曲より満足そうでした。

‪この歌なら無理なく歌えるという安心があって、存分に気持ちを込めることができる。‬
‪つま先立ちのような歌唱じゃない、自分の力を発揮できる、こどもと楽曲が信頼関係で結ばれている。‬

‪それができるのが童謡なんだと。
そしてその歌唱がとてもいい歌唱だったので、私はピアノを弾きながら感動していました。

「こどものための芸術歌曲」とは当初の童謡運動「赤い鳥運動」のスローガンですが、うーん、こういう事だったのか…と再確認。

‪「いぬのおまわりさん」なんてメロディ長いのに歌詞とメロディが一体化しすぎてて「歌詞の続きが出てこない」なんてことないしね!すっごいよ!!‬

(※厳密にはチューリップは唱歌だし、いぬのおまわりさんも明確には「赤い鳥運動」よりもっと後のプロジェクトの作曲家さんによるものなんですが、ひとまず「童謡」とくくります)

‪もちろん例外はありますよ!‬

‪童謡ってどうしてもこどもをこども扱いする目線があるので、早い子なら童謡のそういう一面に就学前には気付きますし。
‪あと「童謡」ってどこまでを指すかというね。そこも難しいんだけど。‬。


‪結論迷子ですが、何が言いたかったかというと!

こどもは吸収が早いとはいえ、そこまで早いわけでもない、と身をもって感じたこと。‬
(とってもとってもと~~~っても当たり前のことなんだけど、関わってなおさら深く思う。)

‪そしてそういう面から考えても童謡は真の意味で「こどものための芸術歌曲」であって、先生業やってると童謡のそういう素敵さをこどもの歌声を通して何度でも噛み締められるので、とても…うれしいなあ。と思った。ということ。‬笑


‪童謡すごいよ。‬
‪すっっっごいよ!!!!‬(推し)




なんの画像もないのは寂しいので、母の作った巻き寿司をご披露。
来年は酉年ですね(*^_^*)




※補足
いわゆる今時のキッズソングを否定しているわけではありません。念のため!!
聴いて楽しんでのめり込むぶんにはとてもいいものだと思っています。
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